これは、あふみの一団員である「しーちゃん」による『おんがく雑記帳』です。
1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2005年 2006年 2007年
2004年目次
  天皇杯…       2004. 1. 3 
  抹茶パフェ      2004. 1.12 
  歌うことと、書くことと 2004. 6. 5 
  黄色くなる      2004. 6. 7  
  マスカラ       2004. 6.11  
  今できることを   2004. 6.17  
  しんけつ      2004. 6.18  
  音楽、大好き   2004. 6.23  
  イライザになる       2004. 7.22
  家内制手工業       2004. 7.23
  フレンドシップコンサート1 2004. 7.26
  フレンドシップコンサート2 2004. 7.26
  フレンドシップコンサート3 2004. 7.28
  幸運なオフ         2004. 7.30
  セレナーデ         2004. 8. 2
  歌たねるアルト      2004.11.10
  エネルギーの変換    2004.11.12
  ブランコ揺れて・・・    2004.11.13
  倍音            2004.11.20

  倍音

                 2004. 11. 20(土)   

  初めて「倍音が聞こえる」体験をしたのは、もう15年以上前。以前入っていた合唱団でカデンツ

 の練習をしているとき。BTAの3パートしかいなかったがSの音が鳴ったのでとてもびっくりしたの

 を覚えている。

  長く歌ってきているが、残念なことに「倍音が聞こえた!」という経験は少ない。「ハマった!」まで

 はいくのだが…音程だけでなく声質やバランス等の問題でもあると思う。

  今日はその数少ない日になった。ハウレイの練習では、TがいないのでわたしはTを歌った。最

 後、女声5人「ハマった!」と思ったら、ベースのGが鳴り出した。空耳かと思った。でも5人は口を

 揃えて、「Gが鳴ったねえ…」としばし感激に浸ったのだった。

  こんなぞくぞくする練習をもっとしたいなあ。天究館はもうすぐ。そして、今日、意欲的なわたした

 ちは12月19日の出演依頼を引き受けることにしたのだ。今しか歌えない、チャンスは二度と来な

 いかもしれない。それが、フレンドシップコンサートの経験から得た教訓た゜から。

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  ブランコ揺れて・・・

                 2004. 11. 13(土)   

昨夜、突然大風が吹いた。

外の物はみな、泣き叫ぶような声を出した。

風に心があるのならば、魂の鐘を鳴らしたのだ。

短い命を精いっぱい生きた。

そこかしこに、彼の姿が見え隠れする。

やっと涼しくなった夏の公園で、

暗くなってから遊んだあの子。

競争のようにブランコをこいだ。

「昨日、ブランコが、大きく揺れててね…」

彼の母の言葉は空に浮いている。

名残の風は足元でくるくるとつむじを巻く。

ブランコ。

もっと高く、

もっと高く揺れよ。

風のように駆け抜けたあの子を乗せて。

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  エネルギーの変換

                 2004. 11. 12(金)   

  まさくんが山芋と長芋を持ってやって来た。取材先でもらったという。早速いただいた。ごちそうさ

 まです。夜、ご近所迷惑も顧みず音取り。B、T、Aの3パート、合わせてみたら結構ハマって気

 持ちよかった。

  さて、朝、一曲歌ってから活動に入る、という小学校の現場もあると思う。わたしの職場でも「さ

 わやかハーモニー」と題し、月代わりで曲を決めている。

  今月、「WAになっておどろう」を選んだ。数年前にヒットした曲である。今担任している子どもた

 ちの年齢と同じくらいだろうか。初めて聴いたとき、うちの車の中の曲や!と言った子がいた。他に

 もうなずいている子がいる。さてはV6がお好みか。ナガノくんのティガはかっこよかった。

  どこかの学級でこの曲が流れ出すと、どの学級でも歌い出す。歌っていると廊下を通っていく他

 学級の子が手拍子を合わせていく。どうやら子どもたちは気に入ってくれたようだ。しめしめ、して

 やったり。曲のエネルギーから子どもたちの元気エネルギーへの変換に成功である。

  ちなみに、選曲基準はナガノくんじゃありませんよ、念のため。


  妹が拾ってきてくれた蛇の完全な抜け殻。お金持ちになれるかな。

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  歌たねるアルト

                 2004. 11. 10(水)   

  どうも最近歌じゃない方にエネルギーがいってるみたい。


  ふと気づけば11月。天究館コンサートが目前に迫っている。のに、この仕上がり具合はどうなん

 や・・・実はフレンドシップコンサートの後、わたしは日本語とマドリガルのステージでアルトに降りる

 ことになって、音を取り直した曲が大半。暗譜でステージに立つ、といふ我が基本姿勢、危うし。


  ソプラノは主旋律が多いもんなあ…音取りがしやすい分、旋律を美しく歌う義務がある。アルトや

 テナーといった内声パートでは、同音がずっと続いたり、トンデモない音が出てきて焦らされたりす

 る。ただ、ソプラノを経験した分、メロディックに歌うことへのこだわりは大きい。そんなところを生か

 したアルトになりたいな。


  なんて希望はともかく!あああ、音取りが先でしょ。それなのに今日もまたうたた寝…。

  


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  セレナーデ

                 2004. 8. 2(月)   

  「外猫」「内猫」という言葉を、猫好きの人なら聞かれたことがあると思う。我が家のシュガーは完

 全な内猫。家の外には出られない。箱入り娘である。


  このところ、夜になると、彼氏が訪問してくるということが続いている。黒いのと、ふさふさのとい

 るみたい。彼らは窓の下にやってきて、セレナーデを歌っていく。家の者は、


 「ほら、また、カレが来たよ。」


 と笑っている。


  どんなに眠っていても、ぱっと飛び起きて窓に向かう。窓越しに猫の会話をする。シュガーは美人

 である。写真だけならタレントになれるんじゃないかというくらい。 だが!それは彼女が歌わない

 ときのこと。彼女はひどい悪声。二重唱では、訪ねてきた彼の方がソプラノである。


  それなのに、猫も人も気持ちよく歌える場所というのは同じようなのだ。


  それは、風呂場。エコーがかかってどんな人でもうまく聞こえるという魅惑の場所。シュガーは風

 呂場が大好きである。心おきなく大声で歌う。想像してください。しわがれ声の浪曲師が、夜中に

 風呂場で同じ節を何度も何度も練習するさまを。家の者は耳を塞ぐしかない。


  猫の歌はようわからん!


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  幸運なオフ

                 2004. 7. 30(金)   

  行ってきましたよぉ〜甲子園!!いゃもぉすごい試合でした!前夜のような延長戦になったら途

 中であきらめて帰るしかないと思ってたんだが、幸運は往路からやって来た。


  米原駅に着いたら何だか新幹線がのんびりしている。駐車場のおじさんが、


 「夜までおでかけ?新幹線、止まってるよ。気を付けてな。」


  在来線で甲子園入りする予定だったため、あまり気に止めもせず大阪までの切符を購入。振り

 向いたら、フラッグフットボールでご一緒しているEさん母子がおられる。新大阪までお子さんを新

 幹線に乗せる予定だったのに新幹線が止まっているため、大阪まで一緒に行ってほしいとのこ

 と。おやすい御用と引き受けてから、よくよ聞いてみたら、向こうでお父さんと合流し、甲子園に行く

 とのこと。


  子どもらは大はしゃぎ。おやつを食べたり、駅に着くたび電車の窓から外の乗客に変な顔を見せ

 たりしている。あっという間に新大阪。ホームでEさんに合流。車なのでよければどうぞ、と甲子園

 まで乗せてもらった。しかも、


 「昨日みたいな延長戦になっても最後までいますから、帰りもどうぞ。」


 と勧めてくださった。


  席は1塁側アルプススタンドかなり上段だった。桧山が視野の下の方に、赤星の赤グローブ、井

 川の青グローブが遠く見える。テレビやラジオの向こうにあった「甲子園の応援」が、耳元でうなりだ

 す。宝塚も終わった。しがのアンコンも出ない。しばらく本番ない。仕事も2日間休みを取った。心

 おきなく大声が出せるぞ。指揮者があるのはあふみのスタンスではないが、この日は別。応援団

 のお兄さんたちの合図に合わせ、音程も何にもない。叫ぶ。野次る。悲鳴を上げる。


  久慈がホームでアウトになって、前夜に続き延長戦。ここで席を立つ人がぽつぽつ出る。終電の

 案内が電光掲示板に出るころ前の席の親子連れが「明日学童だから〜。」と席を立つ。延長11

 回に入ったところで、熱心に応援していたお兄さんたちが「あと頼むで〜。」と残念そうに帰っていっ

 た。あと1回。Eさんの言葉に甘え、最後まで応援することにした。


  そう、帰らなくて、ホントよかった!!抜けていった矢野の打球、その後どうなったか知らない。

 誰彼かまわずメガホンを打ち合い、喜び合う。六甲颪はうなりをあげて夜空に鳴り響いた。


  何という幸運!!自力優勝は消えても、これからも応援するでぇ。


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  フレンドシップコンサート〜番外編〜

                 2004. 7. 28(水)   

  前回(19回)の宝塚のときのようなドジ話は、今回は少ない。二人してブラシを忘れ、ソリオでの

 某店で、顔を壁のように真っ白にした売り子さんに携帯用のブラシの品定めをしてもらったことなん

 か、たいしたことじゃないし。まさくんの仕事が終わらなくて予定の場所に泊まれず、急きょ高級ホ

 テルを押さえて宿泊代を少しずつカンパしたとかいうのも、大変だったとは言え、笑える話ではな

 い。宿泊したところの自動販売機では金色の500円硬貨を何度入れても戻ってきてしまうとかい

 うのも、単に機械の問題(古い)。前回はあった人力ジャグジーバスがなかったのは残念だった。

  前日のホール練習の後、


 「ああ〜またベガで歌えた!もうこれで帰ってもいいわ〜」

 と言ったら、ホールの方が、


 「そんなこと言わないで照明つけて歌ってくださいよ。またいいもんですよぉ。」

 と笑っておられた。嗚呼おのぼりさん。


  子等を迎えに行き、太鼓の本番の方の様子を聞く。


 「かき氷にメロンとレモンと練乳をかけて2杯食べた。」

 

 なんちゅう味や。で、できはどうやったんや。


 「弁当、大きかったで。みんな口開いて見てやあた。」


  そりゃそうでしょう。太鼓をたたくだけで目立つもんな。


 「お礼、もろたで。ぼくらが『新潟か福井に贈ろう』って言ったら、みんな賛成してくれやあた。」


  親たちが歌っている間に、子等は子等で人の役に立つことを考えていたんだと思ったら、成長ぶ

 りに涙が出そうになった。 


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  フレンドシップコンサート〜演奏編〜

                 2004. 7. 26(月)   

  前日練習ではさらに3人を欠き、曲の途中で止まりまくって、「あふみ、だいじょうぶか〜???」

 と実行委員の先生方を心配させてしまった。メンバーも動揺していた。髪々の黄昏、音が上がらな

 い。(後で聞いたら、下がっているという感覚が全然なかったらしい…重症)禁酒はしていたが、早

 寝ができてなかったからかも。(宝塚用パンフを作っていた。)

  一日経って少し冷静になってくると、あの演奏がCDになることに、恐怖すら感じる。できれば、あ

 ふみのところだけ抜いてほしいくらい。(ちなみに、のんきーちゃんはそのことを知らなかったらし

 い。)


  理由は挙げればきりがない。Jesu Christeを3回呼ばねばならないところを、2回しか呼べなかっ

 た。KOVOXのベースに匹敵するソプラノのミス。特にはじめの2曲、終止形の和音が微妙にはま

 ってない。鳥の歌はアッチェルかけたところであやうく空中分解しそうになった。


  個人的には、Sing Joyfullyは出を間違えないようにと用心するあまり息がうまく流れなかった。

 「あ」や「お」の母音の響きのことは、バーバラちゃんに以前から指摘されていたのに、やっぱりうま

 くいってなかったと、後から聞いた。余裕が全然なかったし、高く抜ける響きも意識できてなかった。
 

  ベガに立ちたいと思う気持ちは強かったが、それだけの演奏上の努力をしたか、と問われると、

 残念ながら「いや、まだまだでした。」と答えるより他はない。

  他団の実績に遠く及ばないことを自覚していたから、ふーちゃん編曲の2曲を含んで背伸びしな

 い選曲をした。感想を話してくださった中には、それを好意的に受け取ってくださる方もおられた。

 本当にありがたい。ただ、来年、あのステージに立つためには、指揮者のない分をひとりひとりの

 シビアな努力でうめるしかない。

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  フレンドシップコンサート〜総括編〜

                 2004. 7. 26(月)   

  あきらめなくてよかった。


  洲脇先生の横で礼をして頭を上げ、満席のお客さんを見たとき、心は不思議と静まりかえってい

 た。再びベガホールに立つまでの紆余曲折。無理をしていることはわかっていた。「やっぱり出ら

 れません」と宣言してしまいたいと何度思ったことだろう。メンバーを何人も欠きながら、しかし、ま

 たベガで歌いたい、それだけの思いでやってきた。


  「リラックスして、楽しんできて。」「少人数のアンサンブル、ひとつの理想の形です。」「こられて、

 ホントによかったですね!」…かけてもらったひとつひとつの声が、わたしたちの背を押してくれる。


  しらゆきさんとのんきーちゃんは、「さくら」は胸がつまって声が出なかったと言っていた。それを笑

 うことは、だれもできないと思う。それくらい、わたしたちにとってあそこに立つことは困難なことであ

 り、思い入れのあることだったから。


  このコンサートのためにたくさんの方がご苦心してくださったこと、心より感謝しています。それ

 は、今回だけでなく、今までこんなあったかいコンクールを運営してきてくださった皆さんにも、申し

 上げたいと思う。

 
  コンクールに来た団が、「また来たい!」と集まってジョイントコンサートをやってしまうコンクール

 が他にあるだろうか。来年も、ベガで歌いたい。あのつながりの中に、今度はみんなで立ちたい。

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  家内制手工業宝塚直前リポート

                 2004. 7. 23(金)   

  家内制手工業という用語を、一度は耳にされることがあったと思う。今、まさに、我が家はその状

 態。

 
  ある日、髪々の黄昏はどっさりとA4用紙とインクを買ってきた。どれだけ作るん?と尋ねたら、こ

 れ全部使う、との答え。

 
  プリンターは朝から晩まで、インクか紙がなくなるまで動き続けている。ときどき、インクの目詰ま

 りを起こして止まる。


  子どもらが寝た後、どっこらしょと食卓に座り込む。その後はプリントアウトした紙を4枚セットにし

 て半分に折り、そろえてステップラーで止める。ひたすらくり返す。できあがったものは、20冊を束

 にして袋詰めする。


  何ができているかって?…宝塚に持っていきます。お楽しみに。

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  イライザになる

                 2004. 7. 22(木)   

  ソレっぽく発音することにかけてはいい線行ってるんちゃう〜?(ごまかしがうまい?)という筆者

 に、重大なウィークポイントが発見された。
 
  バードのSing Joyfully、気持ちよ〜くA1と二重唱で歌い出すと、周囲から

 「ちゃうで〜。」


 の声。「し」ングじゃなくて、「シ」ングだと、髪々の黄昏が指摘する。再び歌い出すも、同じ指摘を繰り

 返される。


 「どこがちがうんよ〜(怒)」


 さては日頃、「発音がおかしい!」と厳しくしている恨みをここで晴らすつもりかと、こちらもむきにな

 る。髪々の黄昏は何度も、「シ」であって「し」でない、と言うのだが、その違いが全くわからない。


  ついに夕焼け娘、「シ」「シ」と実演。まさくんからも、「舌を一回上あごにくっつけて…」と温厚な説

 明が入る。「し」「シ」「スゥィ」…いろいろと発音しても、当人はその違いがはっきりわからないもの

 だから、「それはOK」「それは違う」と言われても区別がつかないんである。


  そう、これは「マイフェアレディ」のイライザ状態なのだ。

  さらに混乱させるのが、髪々の黄昏の次の説明。

 「あふみ日記書いてるのは?」

 「しーちゃん。」

 「それは、違う方。酸っぱいミカンを食べたときは?」


 「酸い〜(>_<)」


 「それ。」

  こんな説明でわかりますか、みなさん!

  さて筆者は花売り娘のイライザのままベガのステージに立つか、一晩中踊り明かしたいイライザ

 となって社交界にデビューするか(ただし、容姿はヘプバーンに似ず)。運命の日が刻々と近づい

 ている。

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  音楽に合わせて

                 2004. 6. 23(水)   

  小学1年生の音楽学習、曲が簡単だからといって、教える方が簡単というわけでは決してない。

 既に学習した楽器はカスタネットのみ。鍵盤ハーモニカも、リコーダーも、木琴も鉄琴も大太鼓も登

 場していない状態で、どんなことをするかというのは、想像を超えた世界である。

 
  歌う、踊る、遊ぶ。これしかない。手を変え、品を変え、繰り返すのである。(ちなみに、カスタネッ

 トで馬の足音をしてみせたら、これがけっこうウケた。)


  音楽が鳴り出すやいなや、腰や肩や、腕や背中に、葡萄のように子等がぶら下がる。じゃんけん

 を挑んでくる。通せんぼをする。となりとけんかする。これじゃあ歩けん。リズムに乗ってもなにもな

 い。ずるっ、ずるっ、と引きずって歩く。


  而して、葡萄たちは言う。


 「音楽、だ〜いすき!」


  な〜んか、違うだろ、それ。

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  しんけつ

                 2004. 6. 18(金)   

  週末を心待ちにしているのは、大人だけでなく子どもたちもそうらしい。下の息子が、朝、出かけ

 るときに、


  「今週は3週間分くらい長かった〜。」


 と、言い残していった。無理もない。合唱祭終えて帰宅したら夜の10時を回っていて、翌日いつも

 通り登校だったんだから…。すまんなあ〜いつも。


  ところで、この下の息子は、ときどき、なんだかとんちんかんな奴なんである。彼にかかると「ロッ

 キー山脈」は「びっくり山脈」に、「苛性ソーダ」は「カレーソーダ」に変化する。


  彼は今、「デルトラクエスト」に凝っている。冒険あり、魔法あり、リーフという主人公が影の大王

 と戦う、というファンタジーなんだが、今日は、「○○(モンスターの名前)は影の大王のしんけつ

 (平板に発音)でできている。」と言い出した。


  「しんけつ?なんやそれ?」


  兄と母の不審なまなざしを非難するかのように、彼は答えた。


 「しんけつってのは大王の体にあるんや。流し込んでつくるんや。」


  そこで、兄と母は、新しいK2とか、お金がないのかとか、さんざんからかった。そして、さいごにや

 っと理解した。

 「もしかして、しんけつ(シを高く発音)をそそぐ、って書いてあったんちゃう?」

 

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  今できることを

                 2004. 6. 17(木)   

   出場団体が増えて、講評を聞き終わったら20時を回るという合唱祭になった。お昼には、退屈

 していた子どもらと、フラッグフットのキャッチボールなどもしてしまった。さきらの広場で黄色いレモ

 ン色のボールを投げ合っている変な家族連れを見た方もいるかな?

  講評には、まさくん、しらゆきさんとわたしが参加。


 「まさくん、記録してくれる?書いたら、みんなにメールするんだよ。」


 と言ったら、


 「きれいに書きますから、メールはしてくださいよ〜。」


  講評の間じゅう、まさくんは黙って書いていた。H先生に、「ソプラノの、一番左端の女の子」

 と言われてわたしがご機嫌だったときも、


 「宝塚、楽しみにしてますよ。」

 とプレッシャーをかけられてしらゆきさんと二人ブルってたときも、ボールペンを走らせていた。後

 で読み返したら、二人の先生に言われたことが正確に記録してあって、さすが。書いては消し、消

 しては書いているどこかの音楽日記とは大違いである。

 
  指揮者を置かずに互いの呼吸を感じながら音楽を創る、というあふみの方針は、異質ではある

 がひとつの形として、守り続けたいと思う。ときに迷走することはあっても、解決しようとする気持ち

 ひとつで、必ず先へ進めるはずだ。

 
  しらゆきさんの涙も、ふ〜ちゃんの涙も、無駄にすまい。今いる者が、今できることをやる、そん

 な単純なことからしか始まらない。

 
  おおい、聞いとるのか、静かに話を聞けよ、1年生。声がかれるぞぃ。わたしに今できることは、

 のどをつぶさぬように、そなたらを静かに座らせることであるぞよ!

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  マスカラ

                 2004. 6. 11(金)   

  今年に入ってから、欠かさずしていることがある。


  それは、マスカラを毎日つけて出勤すること。自分のまつげを長く見せるなんて大技、今まで使っ

 たことがなかった。(使い方がわからなかったので、というのが真実。)昨年末、美容師をしている

 叔母に使い方を教えてもらったのがきっかけである。


  たかがマスカラと侮るなかれ。うまくつけるには集中力が必要だ。ちょっとでも手元がぶれたら、

 まぶたが黒くなったり、目がごろごろしたりするという羽目に陥る。逆にうまくついた日は朝から気

 分がいい。

 
  化粧が変わったことに気づくような人も周囲にはいないんだが、自己満足にしても気分がいいな

 らそれでいいんじゃないかな。

 
  今日も一心につけていたら、熱〜い視線が…。おや、と思ったら、

 興味津々のうちのねこだった。彼女は天然の白いマスカラである。

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  黄色くなる

                 2004. 6. 7(月)   

  フラッグフットボールというゲームをご存じの方は、まだ少ないと思う。

  簡単に言うと、アメリカンフットボールの人数を1チーム5人にして、タックルの代わりにフラッグと

 いうマジックテープで腰に付けたタオルを取るというゲームである。このゲーム、身体的接触がな

 いので、チーム構成にかなり自由度を持つ。ボールコントロールだけでなく、走力だけでなく、作戦

 だけでなく、それらのバランスがとれていなければならない。

  各地にチームができていて、キディの部では同じ滋賀県の「草津リトルパンサーズ」というチーム

 が全国トップレベルにある。

 「目標はファーストダウンです。」

 と、ヘッドコーチが笑っていた。何せわがシルバーウィングス、最近は勝利の味を知らない。敵陣

 に向かって進めないまま、0封が続いていた。

  試合開始早々、何と1プレイでのタッチダウン。これに大興奮したのは保護者たち。サイドで手を

 振り回し、跳びはねて喜んだ。当の子どもらは、きょとんとしている。その後もタッチダウン4回とい

 うかつてない快挙に、シルバーウィングスの応援サイドは黄色くなった。

  一回戦で勝利し、欲が出る。二回戦も、と意気込んで、声援はますますヒートアップ。黄色一色に

 なって一喜一憂する。一方子どもらはそろそろ疲れが出たのか、足が止まってくる。0封ではない

 ものの、二回戦は残念ながら敗退。

  上の子が、他チームの試合も観戦しながら、ぽつりとひと言。

 「フラッグの試合、ぼくらもがんばるけど、一番興奮してるのは、お母さんらやな、どのチームも。」

  息子よ、おまえは正しかった。母は今日、のどが痛いぞ。

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  歌うことと、書くことと

                 2004. 6. 5(土)   

   「止まってますね…」と何人かから指摘されていたのはわかっていた。いろいろ原因はあるけれ

 ど、書けなかったのは活動が停滞していたと考えてもらっていい。

  何せ、佐渡裕@あふみという重鎮が仕事の関係で長期休団という、M7クラスの揺れの中で、あ

 ふみ自体の活動がわたしにはよく見えてこなかった。(つまり、心理的お手上げ状態になってい

 た。)


   この長い休筆の間に、音楽的活動が何もなかったかといえば、そんなことはない。和太鼓は子

 等とともに楽しんでいるし、篠笛をもらって吹いてみたりもしている。あふみの練習だって、ほとん

 ど休んだことはない。(これは自慢できる。)お気に入りのCDもある。ESTさんのアンコンの審査員

 などという大それたお役目をお引き受けした「髪々の黄昏」にもついていった。


  でも、いつもいつも、停滞しがちなあふみの活動がひっかかって、例えば、ESTさんのアンコンで

 も、けなるぃくて、(この辺りの方言で、うらやましい、という意味。)帰りの車の中ではため息しか出

 なかった。


  本当に難しいのは、コンクールで金賞を取ることではなくて、より良い音楽を求めていく気持ちを

 持続させることだ、とあらためて思う。自分に何ができるのだろうかと、常に求め続けることの大切

 さと難しさ。と、同時に、完璧を求めることの危うさ。そんな苦さを味わいながら、歌う日々は続く。

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  抹茶パフェ

                 2004. 1. 12(日)   

  三連休の最終日、ようやくゆっくり家にいる。一日目は、午前中大津、午後あふみ、夕方歯医者、

 夜、新幹線で名古屋の演奏会へ。そして二日目は、「篠笛一日教室」のため京都へ。

  和太鼓と関わるようになってから、「やっぱりお囃子があった方がいいなあ…」と思うようになっ

 た。大まかなところは人から聞いてみたが、やはりちゃんとやってみたいというのが参加の理由。

 単身、京都駅へ到着。市バス206系統に乗れと葉書に書いてある。うろうろした挙げ句、「市バ

 ス案内」なるタッチパネルにお世話になった。きっと私のように、バス乗り場がわからなくて右往左

 往する人が多いんだろう。

  太鼓センターに到着。先に部屋にいた一人の方が、ピ〜ヒャララヒャラリラリ〜ヒャラリラリ〜と指

 馴らしをされている。何ということだ、上級コースと申し込みを間違ったかとどきんとする。後で、講師

 のI先生だとわかってほっとした。

  太鼓センターに戻り、「三宅太鼓」用のばちを購入。オープンセールとかで、締めばちとパーラン

 クーをGET。センターは損してないのかしらん。申し訳ないが、ラッキー。

  午後は「太鼓ばやし」と「竹田の子守歌」。「たたき」という和楽器独特の演奏法を学ぶ。民謡なん

 かで「こぶし」と言っているものと同系列だろう。

   I先生は、サックスやフルートも演奏されるとか。教え方も五線譜をもとにしてあって、分かりや

 すかった。しかも、篠笛で、「コンドルは飛んでいく」だのモーツァルトだの、邦楽だけでない曲もヒャ

 ラリラリ〜。おやおや、これはおもしろい楽器ですよ。喩えて言うなら、抹茶パフェ。おいしいあんこ

 と抹茶味のアイスに生クリームのトッピングが絶妙の味わい。目がきろきろする。

   今年の和楽器の目標は、「三宅太鼓」がたたけるようになることと、篠笛を練習すること。

  うまいもんどころの話じゃなかったのかって?はいはい。太鼓センターの近くに、「舞」というお店

 があり、そこの魚の定食とコーヒー、大変な美味でした。そう言えば、以前大阪で太鼓の公演を見

 に行ったときも、この年末に「阿国わらう」を見に行ったときも、偶然入った店が大当たりでした。

  たまたま入ったお店でこんなおいしい物に出合えるなんて、こいつぁ春から縁起がいいわい。ごち

 そうさまでした。

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  天皇杯…

                 2004. 1. 3(土)   

  予告通り、天皇杯からスタート。5万人入った国立競技場。今度こそ、の思いはセレッソサポータ

 ーに共通に流れる。ピンクのビニル袋が配られる。老いも若きもピンクに染まっている。ピッチに

 立つモリシ。小さい。ヨシトの頭にピンクのメッシュが入っているのは、よく見えない。

  応援団の人が、声を掛ける。

 「もうちょっと、立てると思うんだけどなあ…。」

  ようし。ここまできたらやろうじゃないの。ずっと立って応援することにする。試合は、前半は0−0、

 ピンクのポンチョは汗で内側が濡れ、掌はメガホンでひび割れる。絶叫絶叫また絶叫。後半グラウ

 にやられた!モリシいけ!!ヨシト抜け!!シモカワ守れ!!ロスタイム3分。しかし、無情の笛。

  後で喉が痛かった。そう言ったら、家族のみんなに、

 「お母さんが一番うるさかったもん。」

 と、一斉に言われた。どうせ見るなら一生懸命。でも、本番前には絶対応援にいけないな…。

 正月早々、お騒がせしました。今年もどうぞよろしくお願いします。

  

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